【退職】仕事を我慢して続けていたら適応障害になった話
「仕事辞めた」(大声)
きっかけは【適応障害】
適応障害とは:はっきりと確認できるストレス因子によって、著しい苦痛や機能の障害が生じており、そのストレス因子が除去されれば症状が消失する特徴を持つ精神障害である。
自分用の記録の為
ここからまとまりのない長いストーリーが始まります(需要ない)
去年の始めに新しい地に家族で引っ越してきたことをきっかけに、契約社員で働いてた私は正社員を目指して転職することを決めた。
前の職場は美容系の接客業(BAさんではない)。正直福利厚生もちゃんとしているし少し高めの交通費もちゃんと出るし店長もいい人でスタッフもみんな仲良くて(今も仲いい)お給料以外はいうことないって感じでした。
まぁでも引っ越しもするしどうせ転職するなら正社員、そして土日休みに憧れをもっていたこともあり(サービス業スタッフあるある?)事務希望で転職活動を始める。
去年の夏、まず仕事を辞める2か月前から某R社の転職エージェントに登録し、
そしてオフィスに行き実際に求人をリストアップしてもらって自分で選ぶ。
(もうここで既に地獄の始まりだったと思うと今でこそ笑える。)
私が選んだところは、予備校の”総務事務”だった。
土曜日はたまに出勤の日休み夏季休暇あり年末年始休暇あり。
私が学生時代力を注いでた企画の仕事もできる。応募資格も大卒以上。
「こういう仕事を求めてた!」
ただそれだけで応募した(安易すぎる)
一次面接、二次面接と進み、採用。
ちなみに二次試験は社長と。めちゃくちゃ強面で面接というより自分語りと会社語り(この時点で違和感に気付いたほうがよかった)
そして採用になりその日に電話かかってきた(この時点で違和感に気付いたほうがよかった×2)
そして9月いっぴからの入社。
社長から電話がかかってきて、いつも送迎している女上司とベンツに乗って社長がいるところへ・・・そして目的地へ着き社長乗車。
社長「君も運転して貰うから道ちゃんと覚えてな」
私「はい・・・!(え、聞いてないしこんな高級車運転するとか無理)」
そこから車中では運転している上司に向かってこっちの道だと言っただろ!だのそこのコンビニでアイコス買ってきてくれ!だの罵声(新人にはそう聞こえた)を浴びせる。
「え、これからこの人の運転手しないといけないの・・・?うそでしょ?」
この時出社して2時間程経った頃。もう頭の中混乱してすでに絶望。
会社に到着しても当たり前のように社長の怒鳴り声が聞こえる環境。
その日は事務というより社長の身の回りのこととか社長室の掃除とかを教えてもらって、22時に終わって頭ガンガン金づちで打たれてるような鈍痛の中帰宅。
そして、泣いた(直球)
初日で拒否感を覚える。
でもそうこうしていたら次の日になってまた出社。
ペーパードライバーだしこんな責任重い運転無理ですって部長に相談して、了承を得てもらった(この日はそれを言うことで頭いっぱいでそれ以外覚えてないw)
それがきっかけかは分からないが、予備校ということで直接生徒とかかわるポジションにいる社員も居たわけで、それがその時点で校舎長1人だけ。
後はバイトのチューターで業務を補っている現状で私はそこに回されることに。
ぶっちゃけお局っぽい女上司にキツく言われなくて済むし、社長の身の世話(下の世話みたいな言い方)しなくて済むしちょっと救済された感があって、少し気持ちが楽になって、まぁしんどいしクタクタにもなるけれどなんだかんだで入社から2か月経っていた。(まだ2か月かよ)
そして11月の某日。
会社創立ウン十年だかなんだかで社長専務込みの大規模飲み会が開催された。
なんと参加するのは22時に仕事が終わったその後。
帰りたかったが最初だしとりあえず参加。
コカレロ一気飲みさせられた。
しぶっていると専務(女)にぶりっ子すんなと罵られた。
しかし皆酔ってるし我慢して一気飲み。
周りの人は酔いつぶれている中、この会社まともじゃないと思いながら4時帰宅。
そして泣いた(2回目)
新人女子(20代半ば)に強い飲酒強要するなんてニュースでしか聞いたことなかったのに本当に体験するとは思わなかったし、怒りが込み上げてきた。
こんなところまともじゃない。
もう辞めないと・・・
そう思いながらダラダラ時は過ぎ2020年3月初め。
某Cウイルス(伏せる意味)が流行り始め業務体制激変。
毎日朝きてオンライン対応を30分刻み6本+ズーム面談で終わったあとに資料を作り帰りは21時前後という毎日が続き一回崩壊する。
化粧するのも面倒で毎日ホウキのような髪の毛ですっぴんでクマつくりながら死んだ目で出社。マスク万歳って感じだった。
しんどいけど体制コロコロ変わりすぎて2日休めば浦島太郎状態。休むことすら体力がいる状態だった。自分でも凄いなと思うけどその3か月間の激務を乗り切って少しこれからマシになるかなと思いきや
6月。チューター全員リモートクビ(リモートの間違った使い方)。
バイトの子たちがやってる業務を本業務やりながら+終わった後やるという日々になり帰るのも深夜回る日々が続く。これ誰かが倒れな分からんな~笑と365日リアルに休んでない上司が笑ってた。
そして某日いつもと同じように仕事終わって深夜帰宅した後
倒れた(有言実行)
前から不眠、なにしても楽しくない、食欲減退、頭痛、生理がちゃんとこない
等体が不調で5月も有給をつかって3日ほど休みを貰っていたが、ついにパニック発作が出て倒れた。倒れることは初めてじゃないのでとりあえず意識が戻ってから冷静に横になる。(死んだことも自分で分からないまま逝くってこんな感じなのかぁと倒れて意識が戻るたびに思う)
そして幸い次から二連休だったため精神科に行った。
質問が何個か続き最後のほうで自殺願望はあるかと聞かれた。
私「死んだら行かなくて済むのになって毎日考えてます」
とボロボロ泣きながら答えてた。
その瞬間にドクターストップ。
もう行かなくていいとこれを出したら辞められるからねと診断書を出してくれた。
もう行かなくてよくなるんだという安堵とともに
「待てよ、これを出しにまた会社に行かないといけないじゃん」
二日間ずっと暗い顔で暗い部屋で泣いていた。またパニック発作起きた。
それ以外もここ数か月毎日泣いていたため両親も明らかに私の様子がおかしいと感じ、「倒れたって電話してやるからもう行くな」
そういって電話してもらい・・・
退職
退職したのかしてないのか分からないぐらい呆気なく私の転職ライフ終了。
書いてないだけでこの10か月間色々あった。
その中で主に何がストレス因子となっていたのか自分用メモ
①毎日(ココ重要)定時に上がれない&帰れる空気がない
まず私は今までほとんど残業した経験がなかった為、残業に免疫がなかったししたくなかった。周りが一人も帰らない。帰りますっていう空気もない(※ここで帰る勇気を出して帰る人は偉い!自分はそうなれなかった)最後の方は仕事量多すぎて単純に終われない。泣きながらパソコン打ってる日もあった。
②直属の上司に仕事を教えてもらった記憶がない
これブラック企業の特徴らしい。よくよく考えるときちんと業務を教えてもらった記憶がなく見よう見まねで学生バイトの子に教えてもらいながら業務を行う毎日だった。(だから10か月経っても生徒に成績表を返却しながら面談ができなかった)自分から聞こうにもずっと忙しそうにしてるから余計聞けなかった。
誰でもできる入学金のクレジット処理の時だけ呼ばれて(馬鹿にされてるのかな・・・でも仕事与えて貰えるだけマシか・・・)と思いながらやってた。
③休憩がまともにない
1・5時間、入社して1回も取れたことない
30分あったらいいほう、たまには受付でおにぎり食べるときもあった(生徒来るのに)
④業務内容に興味がない
実は自分は当時事務職という職種にしか目に行かず予備校業界という部分に目を向けていなかった。どこでもいいから事務がいい。そんな感じだった。
部署異動してからもう1番ネックになっていたのがこれかもしれない。生徒対応してても楽しくない、私のやりたいことってこんなことじゃなかった、頭も悪いし向いてない毎日こんなこと考えた。
⑤社長のパワハラ罵声当たり前
最初は違和感感じていたものの、何が怖いって半年ぐらい経つと何も思わなくなること。またなんか怒ってるわ~元気あるな~(すでに洗脳されかけ)
⑥一族経営
専務が社長の妹で、妹の旦那が所謂私の直属の上司(※③)
いい人なのだが怖い、キツイ、なにかあろうものなら上司から話が漏れるという恐怖感もあり余計退職も言えなかった
⑦グループlineが横行している
グループline数えただけで8個あった(多すぎ)びびる。line出始めの頃かよ笑
業務連絡グループ、校舎グループ、諸々新しい業務が始まるたびに何かとグループlineが作成され、休日も目に入りこれが何気に隠れたストレスだった
⑧セクハラ
これは個人的に起こしてしまった問題だが、セクハラで社員を一人飛ばしてしまった為、個人的にもう会社自体にいたくないという嫌悪感を持ってしまった
長々と書いたけどこんな感じ。
そして、今もし同じような悩みを抱えてこのブログを読んでくれている人がいるとするならば・・・
辞めるといえないときは親に頼っていいということ
これだけ。
「辞めます」私はこれが言えなかった。ただでさえ忙しいくて人がいないのに空気読まずに退職しますという一言が診断書があっても言う勇気がなかった。
もし一人暮らしの人は、親に連絡して事情を話して、無断欠勤を1日挟んでからの親から連絡を入れてもらうでいいでしょう。そんなしょうもない会社で自分の子供に命を落とされる方が1億倍嫌です。
なんか最後敬語になっちゃったしまとまりも何もないブログになりましたが・・・
同じようなことで悩んでいる人に身近な人に退職を代行してもらう勇気をもってほしいなと思います。もちろん究極論で。
と、辞められた安堵感と書くのに必死になって忘れてたけど
明日からニートだったわ笑
おわり